板紙・段ボールから印刷紙器までを網羅した専門新聞社です

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有限会社
日刊板紙段ボール新聞社

東京都文京区湯島4-6-11
湯島ハイタウンA-509号
TEL.03-5689-0121
FAX.03-5689-0120
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板紙・段ボール産業の総合紙。
紙器・段ボール企業を中心に機械・資材メーカーなどの動向をはじめ、箱を使うユーザーの動きも網羅。各種統計の分析なども充実。

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日​刊​板​紙​段​ボ​ー​ル​新​聞​社​
 

記者メモ

 

2024年 記者メモ

2024年 記者メモ
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12月27日付「当初の興奮が徐々に・・・」
2025-01-08
 2024年の最重要トピックスは何と言っても、段ボール製品単独値上げ。どうやらレンゴーが発表するようだとの噂を直前に聞いて、不適切な表現かもしれないが、『それを表明できる段ボール業界になったのか、すごい』と興奮さえ覚えた。過去に個社で模索した先があるようにも聞くが、ほぼ前例のない取り組み。原料コストの大半を占める段原紙の連動なしに、段ボール製品単独のコストアップを受けて価格改定する。これが達成できれば業界は少なからず変わる、否、経済状況や業界の将来を考えても、変わるべき時に、必要不可欠な取り組みの第一歩であると捉えた。
 がしかし、率直に言って、スタートの4月から7月に、猛暑を超えて夏のような秋の10月、そして早くも忘年会の季節…。結果的になんだか後ろへ後ろへと目標時期がずれていく中、段々と『やはり難しいよな…』『これが現実か…』との気持ちが強くなっているのが何とも歯がゆい。
 オーナー系段メーカー社長は、『この値上げをやり切れば、本当に業界の地位が向上したと言えるだろう』と述べるとともに、『過去2回の値上げを経て現在、段ボールの加工賃はどうか。値上げ以前よりも減ってしまっているのではないか。これからもじわりじわりとコストは確実に上がる。やはり今段ボール製品自体の値上げをしなければいずれだめになる』と強調した。
 来年3月末、大きな区切りのこの時までに、満足行く水準に達成してもらいたいと年の瀬に強く思う。(浮)
 
 
12月17日付「事務所から見える景色」
2024-12-25
 創業期は中央線の大久保、その後日本橋本町に移り、ここに引っ越す前は神田・小伝馬町で部屋を借りていた。昭和の終わり頃だ。個人所有の小さなビルで3階に大家が住み、1階は居酒屋『〇△』だった。スポンサーA製作所から無料で譲り受けたコピー機も通らなかった幅の狭い階段、トイレも和式、タンクが上にあり水を流すのは紐を引っ張る、ボロさがよくわかる。
 今の事務所は文京区と台東区の境にある築50年超の古いマンションである。JR上野、御徒町の2駅、地下鉄は大江戸、日比谷、銀座、千代田の4線が徒歩圏、交通の便は非常に良い。その昔は都内有数の高級マンションで、地下鉄『湯島』駅出入口の案内板にも名前が載っていた。地下には飲食店がずらりと並び、引っ越し当初は大手製紙会社社長の叔母さんが嫁いだお寿司屋さん(支店)もあった。南と北側の部屋にはベランダが無く全面大きなガラス窓、南側は日当たり良く、北側からは不忍池が見える。15年ほど前、税務調査に来た職員がまじまじ窓を見つめ、『明るくて、景色が良いですね~』と挨拶したのが忘れられない。
 南側は目の前が大きな銀杏並木と本郷通り、対面は湯島天神。北側の不忍通り沿いには高層マンションが何棟も建った。製紙会社経営者がペントハウスに住み、段メーカーオーナーも所有したと聞いている。労組が保有したホテル池之端文化センターが真裏にあった。倒産し取り壊され、賃貸マンション建設途中で崩落事故を起こし頓挫、長い間、更地だった。その後、文化センター奥にある東京都保有の岩崎邸(三菱財閥3代社長・岩崎久彌氏本邸)が、公園用地として整備を進めた。決まってから10年ほど経過したが、ようやく完成した。それなりの敷地があり、窓からの景色もまた良くなった。 (山)
 
12月17日付「編集ソフト、ファンドに売却」
2024-12-25
 ▼編集ソフトが出始めた頃『小さな地方紙で使い始めている、便利です』と営業マンから勧められ、たいして考えもせずその話に乗った。ソフト価格は『えっ』と思うほど高価で、スキャナや2台のデスクトップと大型プリンタも必要だった。20数年前だ。それでも迷いは無く採用を前提にソフトハウスと打ち合わせを繰り返したが、まだ業界紙では殆ど使っていなかった。動いた後に見学に来た業界紙は5社ほど、紙系の新聞社も『見せて欲しい』と尋ねて来た事がある。
 ▼効果は翌月から現れた。ゲラを印刷所に入稿、行数を数える専用定規で割付し、それを組んでもらう手間が不要になった。記事をパソコンで打ち編集端末にテキストで移行、写真もフォトショップで自由に加工でき、割付レイアウトは画面上であっという間に終わる。後は紙面その物をPDFに変換して印刷所へ送信する。支払う費用は三分の一まで減った。紙面データまでここで作れるのだから、輪転機を借りるだけで済む訳だ。一番の特徴は速さと鮮度。理論上は輪転機で刷る直前まで新しい記事に差し替えられる。書き手としてはここが一番素晴らしい所だ。
 ▼この編集ソフト、開発した会社は都内にある中堅クラスのソフトハウスで、創業者とも何度か会食したがバリバリの営業マンタイプだった。このほど自分が持つ株式を、ファンドに売却したと連絡があった。高齢によるものらしく、この時代によく聞く話ではあるが『ファンドに?』『償還期間内で収益を上げられなかったら?』どうなるのだろうか。内心、気持ちは穏やかでは無かった。日常の操作に全く支障なく、異常も5年以上無かったが、ソフトの更新含めて、今後を考えると一抹の不安が残る。 (山)
 
12月7日付「新幹線60年、リニアに乗れるか」
2024-12-18
 新幹線が開業60周年になる。最初の東京オリンピックが開催された年だから、昭和39年に日本の威信を懸けて走り始めた。子供心にも『凄い』と自慢に思った記憶がある。少し前にNHKの特番を見たが、当初の映像は白黒だった。線路脇で多くの人々が手や日の丸を振り喜びに溢れる姿が映っていた。妙に懐かしかった。
 最初に新幹線に乗ったのは大阪万博の時、中学1年生である。ドアの上にスピードメーターが付いており、最高速度210㌔に大人も目を見張った。この時は夏休みの最終であり普通車が取れず、帰りはグリーン車だった。
 会社に勤めた当初は大阪出張が毎月のようにあった。当初は車、その後はずっと新幹線で。まだ開業時の0系と少々スマートになった100系が走っていた。慣れてくると、帰京で乗車後はウイスキーの氷入り水割りを、次いで食堂車に移動する事を覚えた。スタンドバーみたいな車両もあった。同業の悪い先輩がそこで飲む事を教えてくれたのだ。閉める新横浜辺りまで飲んでいた。その食堂車も残念ながら2000年に姿を消した。
 喫煙が緩かった時代で、喫煙車両は煙で濛々、空気が色付いていた。その凄かった室内も今は見られない。この次はリニアだ。品川・大阪間を67分、名古屋間は40分ほどで走りぬく。どんな感じだろう。『一度は』、開業が27年ならば乗れそう、と思っていたが、ごねた知事がいて34年以降まで伸びてしまった。その時77歳、乗れるかな。 (山)
 
 
12月7日付「レンゴーが1兆円企業に」
2024-12-18
 ▼レンゴーがまもなく1兆円企業になる。記者が業界に入った昭和年、売上高は2千億円(単独決算)無かったから5倍以上も大きくなった。”段ボール育ちで板紙一貫”このイメージから更に軟包装や重袋、重包装までM&Aを重ね、世界の総合包装メーカーに発展した。
 ▼入社当時からお世話になった会社である。東京事務所は神田で当時の小紙と同じ、ビルの上に大きく『レンゴー』と書かれた看板があった。”業界の勉強を”と勧められ、総務課長Yさんに業界内の株式持ち合いや系列、公取問題など1年間指導頂いた。40年入社組のSさん、Hさんとは会社在職中はもちろん、子会社出向、退社後も大阪で会食するなど親しくし、亡くなる直前までお付き合いした。3人で地方のスナックを何軒もはしごした事も思い出深い。
 ▼常務取締役営業本部長だったKIさん、KOさんには市況の変動や節目でインタビューに登場して頂いた。もう30年近く前の事だ。KIさんは退社後、段ボール会社向けに平河町で事務所を立ち上げ中小の経営相談に乗ったが、そこにもよく通った。ある時『今度は葉山の自宅でやろう』と誘われたが、直前に身体を壊し実現しなかった。煙草が好きな事が悔やまれる。KOさんとは2度ほど一緒に北海道の工場や子会社を回った。横文字の歌詞を上手に歌う洒落た人だった。
 ▼群雄割拠していた板紙メーカーも徐々にM&Aが進み吸収された。本州製紙、大昭和製紙、摂津板紙、三興製紙、十條板紙、高崎製紙、中央板紙、日本紙業など。殆どが一部上場、紙パ業界の名立たる会社、今でも名前は鮮明に憶えている。その頃のレンゴーは板紙生産量6、7番手だったように思う。総生産量も半分程度、『茶紙』『がみ』と一段下に見られていたが、今や製紙を支えるのは板紙・パッケージである。
 ▼レンゴーが洋紙含めて、製紙業界で売上高No3になって久しい。『今度は1兆円』だ。段ボールの業界紙としては誇らしい。この勢いなら『もう一つ上がるのもそう遠くない』、巷には期待も込めてこんな声もある。 (山)
 
 
11月27日付「中小、1月実施を目指すが・・・」
2024-12-09
 ▼大手決算を見ると、9月までの値上げの進捗率(上げ幅ベース)では、先行メーカーでも良くて10%程度といったところ。もちろん大手各社がターゲットとして強調したように、10月以降はこれよりは多少向上しているようだが、それにしても年内に過半を超えることはないはず。現状は、『1月から大半取れれば…でも結局4月もあるかも?』(大手段メーカー)というのが妥当なところだろう。一方で、これは『大手のケースでは』との注釈が付く。シートは今だ、さざ波程度か。中小段メーカーとボックスのケースは4月から浸透できる先がどれくらいあるだろうか。現状のスピード感を聞く限り、ペースが遅い状況であることは否めない。11月半ば、『1月からの実施を諦めずに取り組んでいるが』とは関東地区の段メーカー幹部。そして『(万一、%を多少妥協しても)最終3月末までには。4月以降の原紙の動向には依然不透明感が』とも。現状、原紙は、原燃料価格が上昇トレンドにないことは段メーカーにとって救いだが、調整金含めても現状維持だとしても、労務費、物流費はじめコストアップ要因を無視できるはずはない。
 ▼10月の段ボール生産量、大手の数値をみると前年比105近辺に集中している。昨年よりも平均稼働日が1日多かった点を考慮すれば、前年並み。悪くはないが、肌感覚は、良くはないようだ。『もう多少の数量減は折り込み済みなので』という声が多い。(浮)
 
11月17日付「紙も段ボールも・・・」
2024-12-02
 最寄り駅と、隣町の古書チェーン最大手が立て続けに閉店した。言葉は悪いが、様々な理由で、拡大時には叩かれてもしぶとかった同チェーンでさえも書籍離れに抗えないのか。地元書店はまだ頑張ってはいるものの、最近は文房具売り場が拡大してきて…。幅広い品揃えに貫録があった隣町の老舗書店はゼネコン資本の有名チェーン傘下に。一度は閉店が決定したところから同社が救ってくれたのはありがたい話だが、従来通りのエッジの利いた書棚でいられるのか。読書好き(兼積読家)からすれば、分かってはいるものの、残念極まりない。もっとも記者も8割方は大手通販サイトから購入しているわけで、とやかく言える立場にもない。読書離れと電子化、どちらが先か、どちらが強い要因かはわからないが、洋紙生産量の続落はいずれにせよ変わらない。
 では段ボールはどうか。人口は過去年で5%減少した。段ボール生産量がこれと正比例とは言わないが、今後もさらに減ることは確実で影響しないわけはない。直近でも、業界のある経営者に言わせれば、『貯蓄から投資への政策が、消費も投資に変えてしまった』と手厳しい。消費が伸びねば、段ボールは確実に伸びない。そしてインフレに個人消費は依然抗うに至っていない。毎月の段ボール生産量を見る度に、その思いは強くなる。段ボールに追い風が吹いてこない中、適正価格水準への移行だけは今、なんとしても実現しなければ。 (浮)
 
11月7日付「無事に生まれる」
2024-11-25
 ▼8月に”娘が赤ちゃんを授かった”と書いたところ、想定外の反応があった。ありがとうございます。その娘が急遽、入院・帝王切開・出産した。予定日は10月20日で『まだ2週間ある』と悠長に構えて検診に行った所、『大きく育たないうちに(病院の方針らしい)』『元気が無い(寝ていただけ)』『心拍数が早い(母体が脱水?)』など色々と説明され、陣痛促進剤を使い生まれなかったら翌日には帝王切開で、だった。
 ▼9日夕方、旦那から『手術します』、LINEがあった。夜になって漸くして『今、生まれました』と電話が来た。遅れは順番待ちだったよう。無事に元気な女の子を出産、母体も健康のようで、先ずはホッとした。翌10日は元・段メーカー役員ら5名と草加で昼飲みだった。ちょうどマタニティークリニックが近くなので、会食後に不謹慎と思いながら少し酔った状態で行った。昔の産院とは印象が違い、小振りなホテルみたいだった。
 ▼娘に『抱いてみる』と聞かれたが、頭を恐々と触るのが精いっぱい。『小さい』が第一印象だ。『手は紅葉みたい』よく書いてあるし、みんながそう言うが、それは本当だった。自分の子供は汚い手で触ろうが平気だったが、孫は石鹸で念入りに手洗いするなど神経質になった。手前味噌になるが、生まれたてにしては目鼻立ちがしっかりしていた。健やかに育つことを願っている。(山)
 
 
11月7日付「装置産業と加工業の違い」
2024-11-25
 ▼この業界に入った昭和年代、ある大手経営者が『製紙は装置産業、段ボールは加工業』、『抄紙機と違いコルゲータはいつでも止められる』と話していた記憶がある。その会社の増えた生産量を話題にする中で『作り過ぎならば、いつでも直ぐに』そんな事だった。それが最近、コルゲータも装置産業とどこかで聞いた。貼合スピードが当時の最高速度200㍍から450㍍まで高まった中で、そう思う人もいたのかもしれないが、ちょっと違う気がする。
 ▼”装置産業と加工業”この違いについて、最近ダイナパックの齊藤社長が興味深い話をしていた。『製紙と段ボール加工ではコスト構造が違う』とし、『装置産業である製紙業界は労働分配率が低い。一方で様々な加工をする段ボール業界は、どうしても人手が必要で製紙業界より遥かに高い』と言う。『賃金が上がらなかった時代では、板紙と段ボール製品の価格は連動でも良かったかもしれないが、人手不足に対応する為に継続的に賃上げが必要となった時代においては、板紙と連動ではやっていけない』と強調する。現在進めている製品値上げでも、『板紙とは異なる新価格体系の実現が必要だ。今回の値上げが、段ボール産業の将来を決める、未来の為に歴史の扉を開けるほど重要、強く私は思う』その通りであり、全体でこの認識を共有する事が大切だ。(山)
 
10月27日付「大阪、紙パ街の天ぷら屋」
2024-11-08
 熱々の衣、サクッとした食感。季節の食材が嬉しい。先日、普段から様々指導いただいている段メーカー元社長に、ご馳走になった天ぷら屋さん。齢半ばの大将が次々と揚げる姿を見ながら、話も酒も大いに進んだ。ちなみに大将、紙パ産業の大御所のお兄様と中学の同級生。ましてお店は堺筋本町、紙専門商社はじめ業界関連の会社が関西の拠点を置く、まさに我々の産業の街と言っても過言ではない。そんな縁もあってか、元社長はもちろん、揚場の大将からも、次々と飛び出す業界今昔物語、業界紙記者としてはまさに至福の時間だった。
 ただ、しばらくすると大将が、不意に寂しそうに、『最近は本当に紙パのお客さんが減ってしまった』とつぶやいた。製紙、流通業界再編前夜、今の何倍もの会社が拠点を構え、まして板紙・段ボールだけでなく、洋紙も伸びていた往時、毎晩多くの業界関係者で賑わったという。結局その日、連休明けの平日とはいえ、我々以外の客が来ずに閉店となった。『僕が馴染みになってからは初めて』と元社長も驚いていた。拠点統廃合に伴う地方経済の衰退も聞こえてくるが、大都市の産業の街にもこんな形で変化が訪れているのかと悲しい気持ちになった。とはいえ、まだまだ元気な業界関連会社は近くにある。『(板紙の)〇〇さん、▽▽商事さん、大将が待ってますよ!』(浮)
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